おばけトンネルの話

おばけトンネルに足を踏み入れた瞬間、湿った空気にまじって、線香のにおいが流れてきた。

私は思わず立ち止まった。
こんな人気のない場所で、どうして線香のにおいがするのか。
胸の奥がすうっと冷えて、耳の奥で自分の鼓動だけが大きくなった。

トンネルの中は妙に静かだった。
足音だけが、遅れて壁から返ってくる。
そのたびに、後ろから誰かがついてきているような気がして、振り向きたくても振り向けなかった。

においは、進むほど濃くなった。
ただの思い過ごしではない。
どこかですぐ近くで、誰かが今さっきまでそこにいたような、生々しい気配があった。

ふと、暗がりの端に赤い点が見えた。
小さいのに、やけに目につく赤だった。
まるで、闇の中でじっとこちらを見ている目のようで、私は喉の奥で短く息をのんだ。

逃げたい。
でも、走ったら何かまで一緒についてきそうで、足がすくむ。恐る恐る近づいて、震える手でスマホのライトを向けた。

白い煙。
錆びたバケツ。
そして、その上でじわじわと燃えていたのは、渦巻きの蚊取り線香だった。

私はその場で力が抜けそうになった。
なんだ、これだったのか。
そう思って笑いかけた、そのときだった。

耳元で、すぐ近くから、誰かの吐息みたいに低い声がした。

「気づいてくれて、よかった」

振り向いた先には、誰もいなかった。
ただ、蚊取り線香の煙だけが、細くまっすぐ、トンネルの奥へ流れていた。

あなたもおばけトンネルにいきますか?

吉祥寺いろはメンタルクリニック 日比慎太郎