空港にて

といっても空港にいるわけではなく飛行機に乗ったことは10回もないし電車は毎日のように乗っているが飛行機はなれていません。初めて飛行機に乗ったのは浪人生1年目の受験の時。国立島根医大を受験した際の時である。それまで長野県のはじの田舎で育った私は東京にいく特急が精一杯であった。羽田空港まで行き出雲空港まで、受験のために準備した。島根医大の受験は国立大の後期試験で確か筆記試験はなくなんとなく気楽であった気がする。ただ飛行機に乗るのと全く行った事のない島根県に行くのとでとにかく緊張だった。なんだかよくわからないが空港は怖いところで税関に止められたら別室に連れていかれ何だかとんでもないところに連れて行かれ下手すると刑務所行きになることもあるとなんだかとんでもない想像をしていました。おばあちゃんに東京にはすりが多いからヒップバックを前にしてずっと触ってろと言われ忠実に従っていた時期である。

初めて行った羽田空港はなんせ広かった。小さい頃から海外旅行に行く時代であるが私は今でも海外旅行は数回しかない。日本が1番である。

19才の私は2時間前からスタンバイしひたすら待った。そして、いよいよゲートインである。1番の緊張は金属探知機のゲート通過の時である。流れりように入る方々。ここで失敗したら別室に行く恐怖。思い切ってゲート通過の時。

ビー。

だめなやつである。

空港職員さんからベルトを取ってと言われた。そうか!これは金属だ。ただ誤算はその当時オーバーサイズのジーンズが流行っておりまさにリーバイスのオーバーサイズをはいていたのである。金属探知機がなっていただけで焦るのに支えてないと脱げるジーンズを押さえてゲートを通過なんて大変な事。あまりに緊張しゲートを通過の際、ゲートを直撃。

ビー

またなった。今度こそ別室行きとの緊張であったがあきれた空港職員がもういいよな感じですぐ行ってと通してくれた。そこが島根へのピークであった。確か島根県は3月上旬で大変暖かく感じたけどどんな試験だったかどう過ごしたか全く覚えていない。

あの空港の思い出のみである。

結果は当然不合格。

1年前仕事で飛行機に乗る機会があったが久しぶりの座席は狭くすぐに出れないプレッシャーからパニック障害とはこんな感じなんだろうなあというのがよくわかった。恐怖である。

パニック障害とは死ぬのではないかという強い不安とともに動悸、過呼吸、しびれ、めまい等の自律神経症状を伴うパニック発作を認めるが10分から15分でピークに達した後は改善していく。命に別条はない。また、発作が起きるのではという予期不安を伴うこともある。

吉祥寺いろはメンタルクリニック 日比慎太郎