3月11日に福島県にいた話①
今年も東北の震災のあった3月11日がきた。あれから、何年もたったと思うと感慨深い気持ちになります。現在も大変な状況の方もいらっしゃるしご家族やご友人をなくされた方も多くいらっしゃると思います。
実は2011年3月11日東北の震災があった日は私は福島県郡山市にいたのです。住んでいたわけではく大学病院からの出向で毎週金曜日(2011年3月11日は金曜日でした)に東京から東北新幹線で郡山市に行き市内総合病院で外来を担当していたのでした。病院の食堂はおいしいものが多く、新幹線通勤も新鮮でけっこう性にあっていました。ただ9時から外来開始で1本新幹線に乗り遅れると遅刻してしまう緊張感はありました。郡山駅からタクシーで病院に行っていましたが、サッカーワールドカップに日本が勝利した日の興奮した運転手さんの福島弁がまったくわからなかった事が印象です。福島県病院での外来は1年の予定で3月末までであと何回かという感じでした。週1回の外来であったため患者さんも多く来ていただき、だんだんと福島県の雰囲気や環境にも慣れてきておりました。外来は16時までだったのでもうすぐ終了かと思ったときに電子カルテのパソコンの画面がゆれだし、けっこう大きなそのパソコン画面がゆれて机から地面に転落したのです。あ、こりゃまずいなと思ったときにはもう椅子には座ってられませんでした。そんな場面に遭遇することはないだろうと余興の気持ちで行っていた小学生の頃の地震の避難訓練の反射ですぐさま机の下に隠れます。何回か経験したことのある地震はすぐおさまったのですが今回はそうはいきません。ゆれの時間は長く、そして何度も繰り返します。天井についていた電気が床に落ち、診察室の壁が壊れています。同時にビービーと携帯からは聞いたことのない音と「地震です!避難してください!」と繰り返されます。いやどこに避難したらいいんだろ?と冷静になりながらも病院の外に行くと多くの白衣をきた職員と患者さんが。しかし3月の福島はさむい。その日は雪がちらついていました。ずっと避難できるわけでもなく逃げ出したかったですがそうもいかず院内に戻るとまた大きな揺れがつづきます。携帯はビービー鳴り響きます。すぐ外に出たいんですが白衣を着ているとなんとなく外に出にくい雰囲気です。誰かがつけた病院ロビーのテレビでは津波の映像が。時間がたつのは早く17時になるとあたりは暗くなります。テレビでは新幹線は運転中止のテロップ。こりゃまずいな。当日新幹線で帰宅予定でしたが予定は変わりその後3日間は福島県の病院で濃厚な震災の経過を過ごすことになるのです。
吉祥寺いろはメンタルクリニック 日比慎太郎