進路指導面談

少しずつ気温も低くなり冬になってきました。なぜだかわかりませんが、はっと高校3年生の頃の担任の丸山先生と1:1で行った進路指導面談を思い出しました。

もう秋だったので最終的な志望校を担任の先生と相談して決めていく面談です。担任の先生は学年主任のベテランの英語の先生でしたがとても生徒思いで優しく、何よりテストで難しい問題を出さないので人気でした。授業で間違った発言をしても、「んーちがうなあー」とやんわり訂正してくれました。

そんな丸山先生との進路指導面談は机に2人で向かい合い座り、先生はそれまで受けた河合塾の模試の判定を全部もってました。私は医学部を希望していましたが判定は全部E。つまり合格は限りなく低く、志望校変更が望ましいという判定でした。私の出身高校は1学年400人位いましたが、医学部に行くのは2~3人。私の成績は200番台で到底及びません。

2人で向かいあいましたが丸山先生は「ひび、医学部かあ、、、」と述べその後沈黙が続きました。私は頑張りますとも言えず(がんばって何とかなるレベルでない)ずっと下を向いていました。なんだか静かでとても長い時間がたつのを感じました。もう涙が出そうでした。直前になってもまったく伴わない成績。部活後に運動もせず学食のカレー大盛りを食べつづけぶくぶくと増える体重(ストレス食い、過食です)。すべてがつらかったのが一度に直面下しました。

その後、丸山先生が一言「ひび、きみは留年だ!」まさかの留年宣言。

え!え!

確かに医学部は絶対無理だけど、朝早起きだから授業に遅刻してないし、昼ご飯はたくさん食べてるから午後は寝てることがあるけど出席してるし200番台だから留年するほどではない状態。まさかの留年宣言。

「留年ですか!?」頭を上げると丸山先生も苦笑い。きっと先生もどんなコメントをしていいのかわからなかったんでしょうね。「まちがえた、留年じゃない。浪人だ!でも、万が一合格しても留年は覚悟しよう」と全くフォローにならないどころか2段3段と落とされ、面談は終了。

その年は受験は全敗。受験会場と反対方向の電車に乗って違う会場に到着することを経て私の現役時の受験は終わりました。あと、週間少年ジャンプの発売が東京は月曜日!(その当時、地方は1日遅れの火曜日発売)

ただ、その時の自分に伝えたいことがあります。その後、けっこう挫折も多くてボロボロになるけど、まさかの大都会の吉祥寺でクリニック始めて多くの患者さんと素晴らしいスタッフに囲まれるんだよと。だから、なんだかわからないと思うけど無謀な気持でも進んでいくんだよ。と下を向いていた自分に伝えてあげたいです。

BGM;受験で上京する特急で聴いたMr.children のアルバム discoveryの曲全部